墓碑銘。

札幌の初老を迎えた♂が、ブラック企業と戦いながら転職戦線を生き抜き、本当の友情を求め彷徨う姿を自ら語り続ける悲劇

パワハラ体験記①

もうね色々ブログをどうやって書こうか考えたんですけど。

 

もうイキナリ始めから核心部分というか、自分がその労働審判に至ったその労働紛争の種=「パワハラ」。

 

どういうふうに受けたのか、それをどういうふうに労働審判を使って企業と対抗したのかという部分を書こうかなと。

 

でまず最初に自分が受けたパワハラ「退職強要」ってやつですね。

 

「退職勧奨」まではいいんだけど「退職強要」を受けたのでしかも2回ね。

 

内一回はあからさまのパワハラを受けたのでまぁその辺を体験談として書こうかなと。

 

んで。

 

まず最初にいつの話かっていうところで言うと。今からもう7年前になるんですね。7年も経ったんですねあれから。

 

6年間28歳から33歳くらいまで本当に6年間お世話になった商社を辞めて。でその時まだこんなに売り手市場じゃなかったんで。

求人・求職市場が。その頃はまだまだ買い手市場だったのでそんなにあっさり仕事が決まんなくて相当禿しく焦ってたんですね。

 

で。

 

1年7カ月にわたって結局無職の時期を過ごさなきゃいけなくなってね。本当に困って困って。

 

その元いた商社の創業者の片割れから「お前なんか○○○(その会社の取引先)の会社からどうだ?って話あるぞ」って言うんで。

 

その創業者の片割れと言うのが俺が「センム」と呼んでる方で。「仕事とは」「商売とは」「社会人とは」「人間とは」と言うことを教わった恩師で。

 

働き方そのものとか、生き方そのもの指針にしていこうかなと。そう思っている。それぐらい尊敬している人なんだけど。まぁその人からどうだっていう話があったんで。

 

札幌市内のとある製造業の会社に入ったんですね。で何をやってるのかっていうの具体的に言えないぐらいすごいニッチな業態・業種で。

 

日本中探してもここでしかやってない、ここでしか作ってないというものを作ってたりもするので。道内でもここでしか作ってないものっていうのが普通にホームセンターに並んでるんで。普通に。ホーマックとかビバホームだとかジョイフルAKとかに。

だからちょっと言えないんですけど。まあそういう製造業の会社に入ったんです。

 

で役割(カッコよく言うとミッション)しては雑に言うと何でも屋で(もうちょっとかっこよく言うと)製造管理とか営業あと試作とか製品の開発だとか。そういうところをメインの役割としてやってくれという風に言われて入ったんですけど。

 

当然まぁそうは言っても、会社の業務のフローっていうのは働いていかなきゃ解らないんで。業務のフローって言っても製造業ですから。それは当然、モノ作っている職人さんたちに混ざってモノづくりの手伝いするわけですよね。

 

で。

 

まぁ

 

そういう製造業で。別に職人でもなんでもない未経験の初心者だった

んだけど。まぁ自分ではもの作ったりするの好きなんで楽しいなと思いながらやってたんですよ。

 

で。

 

それをやりながらも、見積もりの手伝いだとか、まぁ当然接客するだとか、そういうことをしながら会社のフローを覚えていくって言う

感じだったんだけど。

 

なんかしないけど蓋開けたら結局単なる工員。製造職みたいになってて。まぁそれはそれでいいやと。

 

別に。と思ってて。なぜかって言ったら。そんなね一朝一夕にそういうある程度の管理職にはなれないって言うのは、それどんな商社どんな会社でもそうなんで。

 

それこそのその会社に入る前に6年間世話世話になった商社だって、最初は倉庫の番人、倉庫係ってトコロで。荷物のピッキングだとか発送作業だとか。時には突発で配達だとかに出されたりとかっていうところから始まっているんで。

 

で最終的にはその商社で営業をやらされ。「業務」と呼ばれる内勤営業をやらされ。最終的に仕入業務もやらされ。

 

ほとんどお金まわり以外のことのすべてをやらされるっていうポジションにボーンと放り込まれてて。野球でいうとキャッチャーみたいなところを任されてたので。まぁそんなもんだろうなと思ってて。

 

んでやってたんだけど。なんかねえぇ…

 

途中からどんどんどんどん旗色が変わるというか毛色が変わるというか。



気がついたらなんか単なる工員みたいになっちゃってて。

 

あれ?みたいな。何だろうなぁって。

 

んで。気があることに気がつき始めたんですね。っていうのは最初言ってた話の給与となんか違うぞっていうトコロにどんどん気がつき始めたんですね。

 

っていうのは。

 

どう計算しても日曜、祝日、休日の出勤分に対してちゃんと支払われてないんじゃないのかっていう疑問が湧き始めて。

 

その自分の勤務時間の実態と払われる給与の額になんか変な開きがあるなっての気がつき始めたんですね。

 

で。

 

なんか変だなーと思いながら働いてはいたんだけどある日突然とある商品を作ってて。作業の節目で「ちょっといい?」って呼ばれて、事務所の隣の応接スペースみたいなところで「君の仕事はもうない」みたいなこと言われたんですね。

「ない」ってことはないでしょって話して。

 

あれは?これは?ってこっちからもういろいろ提案したんだけど。それもできない。それは誰だかの仕事だから良い。とか。要は「君の仕事はない」って言のに対して、こっちからこの仕事はこの仕事はって。

 

ある程度その時点で1年7ヶ月くらい経っていて。社内でどういう仕事がどういうふうに回ってるのか大体理解はしてたので。

 

仕事なんてね。織田信長が「仕事もらえるのを待ってるようなやつは雑兵だ」といういうセリフ吐いてたらしいけど、別ににこっちからある程度仕事なんて拾ってくるわけですよ。当然。

 

いろいろ難癖つけて当人の労働意欲を無視して要は仕事の取り上げってやつをやってきたんですわ。

 

でこれよくある労働問題の専門家から言いますとこれ完璧なパワハラなんですけど。で最終的に仕事無いって言うけど、じゃあ俺の次の仕事って何だろうってことなんですけど。

 

明日からは「休憩室で休むのが君の仕事」って言われたんですわ。「休憩室で休みっぱなしで働いてるとは言わんだろ」って言ったら。

 

そしたら「休憩室で新聞でも読んでたら?」ってwww

 

確かね「新聞でも」みたいな感じでしたからね。www

 

ただね。休憩室って何故か知らんけど椅子が足りなくてみんなが昼飯食べるのに下りてきちゃうと俺飯食べるスペース無くなっちゃうわけなんですよ。

 

しょうがないから誰かのお昼食べるスペースなくなるしなぁと思って。会社から出て。会社の近くの公園で独り飯食ってたりとかってしてましたわ

 

なんかすごくないすか?これいじめですよね?本当のパワハラってこれなのかぁって思いましたけど。

 

ただ。

 

俺。もともとなそういう「紛争」というか「喧嘩」というそういうの慣れっこなんで。ガツガツヤリ合うってのが。

 

そういう性格も手伝って。あぁもうじゃあしょうがないからヤッてやるかって。

 

で。

 

その休憩室でやることないから。「新聞でも読んでたら?」って言われたんですけど。どうやったらこの会社を訴えれるんだろうかっていうのを考える時間に当てようと思って逆に。

 

仕事の取り上げに遭ったその日。それね事務所に呼ばれたのは11時頃だったはずなんですけど。4時間ぐらい粘ってその経営者から仕事を引き出してやろうとしてたわけですけど。折衝してヤったんですよね。

 

要は。働いている従業員たちに知られたくないんでしょうね。その会話を。で。俺はねそういう話を、誰が聞いてもキッチリ筋が通っていると言うなら寧ろみんなが聴いてる中でやろうじゃないかって。

 

で。

 

あまりにも粘るし。俺が。そして折れないんで。営業職の経験の中でお客さんに粘って「どうですか?」ってやるのって結構得意技なんですよ。6年間ほんとに世話になった商社で。そこではモノづくりに携わる取引先に資材を提供するっていう商社で。

 

お客さんも相当激しく厳しい予算の中からある程度の仕事を遺さなきゃならないってところで。物件とかあるんだけど。結構その会社にとって大きい買い物だったりするんですよ。

 

こっちも買ってもらいたいし。向こうは向こうでやっぱり取らなきゃいけない利益もあるから安く買いたいし。っていうところでやっぱりああしましょうこうしましょうって言う話が出てくるわけですよね。

 

で。

 

結構そのやりとりって長時間に及ぶんですよ。普通モノを買ったり売ったりなんていうのは、相見積採って安いところから買えばいいやでポーンって買えば良いんですけど。

 

なかなかそうもいかない弱小な小さい規模のお客さんが相手だったりしたので。柵もあってお客さんも新しい仕入先っていうのはなかなか作れないですからね。特に札幌なんて小さい町だからそういう現実も手伝って。

 

物件モノのけっこう多額のおっきいやりとりの中で長時間に及ぶ折衝っていうのは日常茶飯でやってたわけですよ。3時間4時間5時間ずーっとその客だとか相手と、そんな面白くもないやりとりをするっていうのは全然慣れっこだったので。

 

そのパワハラを受けたという、退職強要をしてきたその会社と4時間5時間ずっとしゃべるなんて俺からしたら全然「屁」みたいなもんだったんですよ。

 

だからこっちの方からグランドの長期戦に持ち込んでやろうって思ってて。途中から。長期戦っていうのはとりあえずその日の定時までヤッてやろうって。

 

そしたら途中からその経営者のほうが根負けしてきて。とうとう「もう帰っていいって」言い始めて。「帰って良いってどういうことだ」って聞き返してこっちも。「その分給料減らされても困るんだけど。」って言えば。「それはもう会社の命令として帰ってくれって言うんだから給料は今日の分は減額しないから」っていうから。「あっそう」って帰るはずだったんだけど。

 

その足でその日のうちに札幌市内にある労働組合。個人で入れる労働組合「札幌地域労組」っていうところがあるんですけど。ユニオンってやつですよ。そこにバーって走り込んで行って。車で。

 

「実はこういう退職強要を受けてるんだけどどうしたらいい?」っていう相談を持ちかけに行くんですけど。

 

それが俺と労働組合の最初の接点だったんだけど。